路地裏の道標( Penunjuk di Gang / Children’s Alley )

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〜「路地裏の道標」〜
◆2012年12月の話です。ジャカルタの中心部Mega Kuningan。
◆激しい交通渋滞、星の見えたことのない空、常態化している洪水。人の住める環境では、だんだん、なくなってきているのですが。
◆中に入り込んでみましょう。
◆この路地裏は、買い物や食事をするモールへの近道。けっこう、通らせてもらいました。
◆ふつうの庶民の暮らしが、ここにあります。
◆高層ビルが、すぐ近くまで迫ってきています。弱い地震でも、簡単に倒壊しそうな家づくり。
◆路地を歩いていると、人々の声が、とても賑やか。
◆様々な職業の人たちが住んでいます。幼稚園もある。
◆壁に貼り紙や落書きが多いですね。
◆どうせなら、上手に描いてほしいなあ。
◆小動物があちこち走り回っています。 この鳥はカゴの中、鳩のようなウズラのような。
◆ニワトリの親子。
◆狭い路地を、馬車が近づいてきます。子供たちを乗せているようです。
◆狭い路地でもバイクは平気。ふつうに歩いていれば、バイクの方が、すり抜けていきます。
◆交差点では、別の馬車が待っています。落ち着いていますね。
◆馬も動物も、子供たちも、それを見守る大人たちも、みんな活き活きしています。。
◆この空き地が、馬車の駅。
◆壁の隅に、石像がありました。
◆「いやあ、今日は疲れたよ。君の顔を見るとホッとするよ。」
◆「・・・・」
◆「元気ないじゃん。。。どうしたの? 」
◆「いろいろ、ありがとう。」「僕、もうすぐ、取り壊されるんだ。。。」
◆そうそう。
◆屋台のミーアヤムバッソー( Mee Ayam Baso 鶏肉団子の入ったスープ麺)は、とても美味しい。
◆でも住民は、路地の奥の方にある食堂で食べている。たぶん、そっちの方が美味しいでしょう。
◆私の少年時代にも、こんな風景がありました。すごく気持ちが落ち着きます。

前略

久しぶりに手紙を書きます。
写真を同封します。
 
路地裏の隅の、空き地の入り口に、古い石塔がある。
小さく、何かの絵と文字が刻まれている。
 
道標だろうか。
誰がそれを見るのだろう。
 
その空き地に、子供たちがいる。
子供たちは、馬車の到着を待っている。
 
そうか。
今はもう、馬車馬の眼だけが、あの道標を知っているのだろう。
 
いにしえの時がここにある。
 
手押し屋台がある。
客はいない。
食べて分かったよ、客来ないな。硬い鶏肉が、歯に挟まって、取れないよ(笑)。
 
とこしえの愛がここにある。

        草々

子供の頃、昭和30年代、浜松市海老塚町の鹿島神社の周りには、戦災バラックが集まる、沢山の路地が、残っていた。傷痍軍人、ヤクザ、夜の蝶の寝転ぶ姿が目に飛び込んでくる、そんな路地裏を、ビニールの刀、マントの出で立ちで、徒党を組んで走り回っていた頃があった。

やがて、昭和の終わりとともに、再開発により我が家も、立ち退くことになった。

ジャカルタの、ど真ん中には、まだ庶民の路地裏が無数にある。この路地裏の空気や音は、私の子供時代と重なる。もちろん日本とジャカルタでは、貧富の格差が生まれる原因や経過は異なる。でも路地裏は、子供が多い。元気がいい。それは日本の戦後もここも同じだ。ジャカルタの馬車は、子供たちを乗せて、所狭しと通る。

はっぴいえんどの「花いちもんめ」の一節にあるように、子供たちは、「七つの海もまるで箱庭」のように飛び回る路地裏のヒーローだ。

とても気持ちが落ち着く。居心地が良い。

2013年1月

(Cubase)(Jan/2013)(0245)

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