縄文人への点と線〜「仮面の女神 ( Masking Goddess ) 」は今も歩いている。

(Dec.2016)(Cubase)


縄文人につきまして、なりふり構わず、我田引水、唯我独尊に、考察を進めてまいります。

縄文への興味、きっかけは、NHKのサイエンスZERO

2016年4月3日、NHKサイエンスZERO「日本人のルーツ発見!核DNAが解き明かす縄文人」(NHKオンデマンド)を見ました。その後最近、2016年10月10日、NHK時事公論「縄文人ゲノム解読 私たちのルーツは?」(解説委員室のHP)で、これまた大変分かりやすく解説されていますので、是非、お読みいただければと思います。私はガラポンTVで、この2つの番組を「お気に入り」にしています。

この2つの番組を要約します。

「縄文人ほど、アジアの中で風変わりな存在はない。」最近の科学技術の進歩で、縄文人の核ゲノム解析が進んできた。福島県三貫地貝塚からの縄文人の歯の内部から、成人男女の2人のDNAを取り出した。そしてその核DNA解析に成功した。するとどうも縄文人は、人類の進化の系統図に当てはめると、アジアの中では、最も古くから集団生活を行っていた種族になる。縄文人が、どこからやってきたのか、その謎についても、次第に、明らかになろうとしている。

とのことです。ワクワクします。

「**人」との言い方が多過ぎます

それにしても、「**人」と言う呼び名は実に様々な使われ方があります。

(1)まず現代においては、日本人、フランス人などは、国民を指し示しています。

(2)考古学で見るのは、ジャワ原人北京原人フローレス人浜北人などで、これはその骨が発見された場所を指し示しています。

(3)ホモエレクトス(直立原人)、ホモサピエンス(現生人類)などは動物学の分類になるのだと思います。

(4)そして、形態人類学の分類で、よく人種と言われる、ネグロイド(黒人)、コーカソイド(白人)、モンゴロイド(黄色人種)、オーストラロイド、の4つの分類があります。

(5)それから歴史上の時代を当てはめて、例えば旧石器時代までの人類を旧人、新石器時代以降の人類を新人、という捉え方もあります。

(6)それから今回頻繁に使っている「縄文人」ですが、これは、日本の歴史における時代を指し示していて、縄文人、弥生人、さらに昭和人との言い方もあります。私は昭和人に属します。

他にも色々、新種の「**人」が登場してることと思います。

「**人」は、本当に多くて、混乱してきます。

縄文人は、いつ、どこから、日本へやってきたのだろうか

現生人類(ホモサピエンス)の最も古い化石は195,000年前、これがエチオピアで発見されました。この約20万年前(25万年前の説もある)のアフリカが、一応、現生人類の歴史の起点となっています。

※30万年前まで遡るか。

ですので16,000年前から縄文時代になるので、20万年前(25万年前)から16,000年前の間に、何が起きていたのかを調べれば良い、となりそうですが、そんなに単純ではないです(例えばトバ火山の大噴火)。

ややこしいのは、その現生人類とは別の人類が少なくとも2種類は存在していたことが明らかになっています。ネアンデルタール人とデニソワ人です。そしてこの3人類は、別々に暮らすのが大勢だったにしても、一緒に暮らして交雑が起きていることも明らかになっています。

日本は、最寒期の2万年前から1万年前までは大陸とは陸続きであり、縄文時代の初めの6,000年間は、陸続きの時代でした。ナウマンゾウは15,000年前まで日本に生息しており、長野県野尻湖で大量の化石が発見されています。

可能性としては、20万年前(25万年前)から16,000年前の間に、現生人類またはネアンデルタール人またはデニソワ人、あるいはそれらの混血が、日本へやってきたと考えられます。

日経サイエンス「人類の起源と拡散」

次は、私の考察です。

長野県茅野市尖石縄文考古館にある縄文土偶で国宝の「縄文のビーナス」。そのふくよかな体型と陽気さは、東南アジアの田舎の母親を彷彿とさせます。かつて、16,000年以上前に、インドシナ半島、マレー半島、インドネシアは陸続きでスンダランドと呼ばれる広大な陸地がありました。そのスンダランドから旧石器人が、黒潮に乗り、日本に漂着したのだと思います。それが港川人だと考えます。さらに、港川人が陸伝いで移動したのか、それとも直接漂着したのか、それが浜北人であると考えます。

国宝 縄文のビーナス

南九州の縄文文明は、鬼界カルデラの噴火で一度全滅したらしい

港川人は、沖縄から南九州にかけて広がり、狩猟採集生活を行っていました。ところが、7,300年前に、九州屋久島付近で起こった鬼界カルデラ噴火によって、それまでの縄文文化は絶滅し、かなりの年月が経ってから、別の縄文文化が後で入り込んできたと考えられています。

浜北人が諏訪へ向かった。諏訪の縄文文化の誕生か

次は、私の考察です。浜北人北上説です。

港川人の子孫またはスンダランドからの漂着人である浜北人は、南九州のような自然災害による文化絶滅には遭遇せず、豊かな生活を送っていた。浜北人は、より豊かな食べ物を求めて、天竜川を上り諏訪に入り縄文人となったのでしょう。その後、縄文人同士の混血が起きたものと考えられます。つまり最初、南方のスンダランド人が浜北人となり、浜北人は諏訪へたどり着きました。そして年月が経ち次に、北方から陸伝いに、古モンゴロイド系の旧石器人が日本に入り込み、さらに日本を南下して諏訪にたどり着いた、そして混血が起きたと推察されます。

「縄文のビーナス」の陽気さと、違う雰囲気の「仮面の女神」

国宝の「仮面の女神」です。これは「縄文のビーナス」から1,000年後に登場しています。

屈託のない、朗らかな、スンダランド系縄文人と、それとは違う、繊細で寒い北方地域から来た古モンゴロイド系縄文人が、混血されたような雰囲気を感じます。
「仮面の女神」登場の頃は、寒冷化が進み出し、温帯の森林が急減し、狩猟採集生活が次第に困難になってきました。また、農耕牧畜生活を主体とする弥生人が次第に諏訪地方にも入り込んで来ようとしており、ぶつかり合いが生じそうな不安定な雰囲気も、なんとなく伝わってきます。

それにしても、この「仮面の女神」の造形は、なんて魅力的なのでしょう。
「不釣り合いが生み出す美」です。
子供の粘土細工のように愉快です。
特に顔。
丸い小さい穴が三つ、目と口です。
この小さい穴がとにかくカワイイです。
見落としてしまいそうな小さい、単なる穴です。
ここまで小さく凝縮した穴が、こんなに大きく豊かな表情を生むのです。
芸術を超えています。
魔力です。
その一方で、この土偶の色合いと模様は、何か別の冷たさ、不安な出来事、そうしたネガティブな問題と対峙しようとする、アマゾネスのような闘志を感ずるのです。

ゾクゾクします。

国宝 仮面の女神

出雲から諏訪へ来た弥生人

豊かな心と文化を育んだ縄文人は、環境の変化に適応するために、農耕牧畜を取り入れざるをえなくなっていきました。縄文人と、出雲から来た弥生人は、時に戦い、時に混血し、次第に共存して行きましたが、その両者の融和を説いたのが、古神道だったのではないでしょうか。

謎にワクワク、先住民誕生から縄文まで

諏訪の縄文文化と同じように、青森の三内丸山遺跡に代表される縄文文化も発展し、また日本列島のあちこちで、こうした縄文文化が生まれていたに違いありません。

弥生時代以降の日本ですが、邪馬台国の所在地の謎がブームだった頃があります。でもそれも、調査が進み、だんだん実態が分かるようになってきまして、そうなると関心が消えて行くんですね。謎が好きなだけですからね。

旧石器時代から縄文時代にかけては、まだ謎だらけ。

もし、私が住む、浜松市浜北区が、日本人誕生に深く関わっているとなれば、とても面白いことです。

浜北人の再発掘に向けた予備調査が2017年まで行われることが決定しています。

浜北人に関するブログ

もうワクワクします。

浜北人の再発掘予備調査開始のニュース 静岡新聞
↑広告-Google AdSense-