スンダランド ( Sunda Land )

水草水槽を見ていたらスンダランドが見えてきた。

水草水槽 レグラスポニックス

そもそも水草水槽(アクアリウム)は、東南アジアやアマゾンのジャングルを表現したものだと思う。

毎日、世話をしながら観察しているのだが、こんなに気持ちが落ち着くのは何故だろうか。

この水草と魚のDNAと、私の体の中にあるDNAがコミュニケーションを始めるように感じる。

そうか。きっと、ここはスンダランドなのだ。

スンダランドは舌ベロ(※1)のような形だった。

スンダランドはご存知だろうか。

1.5万年前までに海底に沈んでしまったのだが、インドシナ半島、カリマンタン島(ボルネオ)、スマトラ島、ジャワ島、それら東南アジア一帯に広がる舌ベロ状(※1)の広大な陸地、のことである。ムー大陸とは、このスンダランドのことだと言う人もいる(MuTubeより)

マレー半島東岸沖の楽園ペルヘンティアン島(音楽作品:「ペルヘンティアンの木陰で」)は、その時代は小高い山であり、その上にサンゴ礁が出来て、今のような美しい海辺となったのだろう。

1.5万年前何が起こったのだろうか。地球史によると、更新世(約200万年前から約1万年前)から完新世(約1万年前から現在)への移行期で、最後の氷河期と言われるヴュルム氷河期が終わった頃になる。氷が解け、陸地は次第に海底へ沈んでいったわけだ。

スンダランドも、その多くの部分が沈み、大陸棚になってしまった。

※1:遠州弁。

多摩動物園のオランウータン、ジプシーの死が語ること。

在りし日のオランウータンのジプシー。

2017年9月27日、多摩動物園のオランウータンのジプシーが亡くなった。世界最高齢62歳(推定)とのこと。私も62歳。私と重なるのだ。私が生まれた頃、ジプシーはカリマンタン(ボルネオ)島、つまり原籍スンダランドで生まれた。そして1958年、約3歳の頃、日本へ来た。

日本で約60年間の生活。それは楽しかっただろうか。そして、何を語りたかったのだろうか。

スンダランド人の生い立ちについて。

スンダランドに関係する、アジア、アフリカの人類史。

スンダランドを人類史から眺めてみたいと思う。

スンダランドの森に住んでいたオランウータンが、ジャワ原人に進化した。

と言いたいところだが。

ロマンの一つとして、壊さないで欲しいが、まだその証拠は、どこにもない。

その一方で、アフリカでの研究が先行している。

200万年前頃のアフリカ。そこに、二足歩行し、石器を使い獲物を獲り、陸地で生活する能力のある新種の原人、直立猿人(原人)が誕生した。そしてアフリカから旅立った。「人類のアフリカからの旅立ち第一回」である。

180万年前頃、その原人がジャワに到着してジャワ原人になった、というのが現在の有力な説になっている。ジャワ原人に似た骨は、南インド、マレーシア、からも点々と発見されているようだ。広くベンガル湾沿岸からスンダランド一帯へ生活圏が分布したようだ。北京原人は、70万年前頃、そのインドおよびスンダランド一帯にいたジャワ原人が移動し子孫となったとする説がある。

本当かなあ。西から東へ移動したのかなあ。。ドラえもんにお願い!行きたい、調べたい、200万年前!

「アフリカからの旅立ち第二回」は、高度な石器の製作、住居、埋葬、芸術等を扱う能力も備えた最強の新種のお出まし。「旧人」と分類される。ご存知ネアンデルタール人デニソワ人だ。35万年前頃のアフリカ。ヨーロッパ方向へ旅立ったのがネアンデルタール人、中央アジア方向へ旅立ったのがデニソワ人。デニソワ人がスンダランドへ入ってきてもよさそうだが、その形跡はまだ発見されていないようだ。

ちょっと人類が根性ワルになってきたようだが、行きたいな、35万年前!

「アフリカからの旅立ち第三回」は、磨製石器も使用、土器も使用、定住化(寒暖に適応)出来る無敵のスーパー能力人種。悪名の誉れ高い、地球の破壊屋、我がホモ・サピエンス(現生人類)だ。20~25万年前に誕生して、世界各地に旅立った。

10万年前~6万年前、スンダランドで平和に暮らしていたジャワ原人の子孫やフローレス原人は、悉くホモ・サピエンスに敗北し絶滅したらしい。ついに悪の権化ホモ・サピエンスがスンダランドの主になってしまった!

さて、そんな弱肉強食、極悪非道な人間の世界を、森の番人=Orang-Utan=オランウータンは、ずっと見続けていた。悲しんでいたと思う。

穏やかで平和を愛する、優しい性格を持つ、今の東南アジアの人々。その祖先の多くはスンダランド人である。

私は思う。スンダランド人はオランウータンから学んだのだ、と思う。人間とサルとの一番大きな違いは何なのか、サルは一人でも出産できる、人間は他の人の助けにより出産する、人間らしくお互い助け合えよと。

話を脱線して申し訳ないが、猿から猿人への進化が、地球上の複数箇所で発生していたような気がしてならない。アフリカでは、チンパンジーが猿人アウストラロピテクスへ、さらに猿人アウストラロピテクスが原人ホモハビリスへ進化した、ということではないのか。同じ頃、スンダランドでは、オランウータンが、まだ見つかっていない何かの猿人へ、その何かの猿人が原人ホモエレクトス=ジャワ原人へ進化したように思えてならない。

ロマンの一つとして壊して欲しくない。

その後は確かに、アフリカでそのホモハビリスが進化したホモ・サピエンスが最強の能力を持つことになり、アフリカを出て、世界へ拡散した。そしてホモ・サピエンスは、各地で原人を制圧していった、混血しながら制圧していった。そういうことだと思う。

日本人は様々な人種が混じり合って作られてきた。DNA研究で明らかになろうとしているが、その中で、非常に影響が大きいとされているのが、南方系海洋民族=すなわちスンダランド人である。次章はそのことに触れる。

日経サイエンス「人間性の進化」2005

スンダランド人は日本を目指した。

氷河期の終焉により、スンダランドの面積は半分くらいになってしまったわけだが、急にそのようになったわけではない。長い年月をかけて、スンダランド人も、別の住みやすい土地を求め移動した。

太陽の出ずる所は、植物も動物も沢山いるに違いない、東へ行こう、本能に導かれそう行動したに違いない。陸を歩く、海を渡るにしても、とにかく東へ行こうと。

一つの説だが、特に、3万年前頃から1.5万年前にかけては、多くのスンダランド人が日本(あたり)へ到着したものと考えられている。

そしてその一部が本州の旧石器人、例えば、私の住む地域にいた「浜北人」となり、また一部が琉球の縄文人となった。そして私の想像だが、本州の浜北人は、その後、天竜川を、秋葉街道沿いを、塩を持ちながら北上し、諏訪の縄文人となった。また諏訪へは、北方からのモンゴロイドも合流しただろう(・・・私はスンダランド人がモンゴロイドだったとは言ってはいません。)。この続きは、以前のブログをご覧ください。

最近、歳をとってきて思う。髪の毛が薄くなってきて、だんだんオランウータンに似てきたような気がする。とても愉快な気持ちになる。

これからも、スンダランドについての、各方面の識者の研究について、注目していきたい。

特に、スンダランドに住んでいたフローレス原人。ホビットの愛称を持つこの体長1m体重35kgと小型の原人だが、未だ謎に包まれている。この解明は面白そうだ。

また、諏訪の縄文文明と対決あるいは融合したと言われる、出雲を出発した弥生文明については、後日、述べてみたい。

(Oct.2017)(Cubase)